2014年10月10日
稲刈り一日目、はい。
10月9日(木) くもり・・・夕方からぽつぽつ
さあ、昨年より一日多く休みをとって稲刈りです。
気合入ってます。初日は9時には田んぼと思ってましたが・・・、一日分の余裕が気持ちの余裕で、生駒に着いたの9時半でした、はい。
あっ、日曜日の酒買わなあで寄ったりして田んぼには10時過ぎ着。
さあ、稲刈り開始とバインダー出したら・・・・右のタイヤがへこんでおる。先週、エンジンはかけて、一発でかかってうっしっし。時間に余裕がなかったんでそれだけで済ましていたんですわ、はい。
冷や汗タラり。あわてて空気を入れてみる。しゅー しゅー 、元気よくぬけていく。

あー あー あー 、段取りが吹っ飛ぶ。しばらくうなって、とにかく農機具屋に持っていく。
そーですか、パンクはここでは直らないんですか、はい。業者に持ち込むんですか。で、日にちもかかるんですか。
どっかパンク直してくれる所ないですか、なんならそこに行ってみたらと。はい、そうします。
で、行ったところは近くのガソリンスタンド。笑顔のいい兄さんが詳しい人を電話で呼んでくれる。
このタイヤはチョーブレスタイヤでパンクは直らないと。でもバインダーならそんなに力がかからないから、このままでも今回はいけると。
修理はチューブレスやけどチューブ入れたらいい。
このままでいけると言われ戻ってやってみる。いける、傾くけどなんとかいける。タイヤは傷むそうだが。



5時半、暗くなってきたんで今日は終了。腹づもりでは三枚と思っていたけど、一枚半のみ。あと三枚。
田はぬかるんでる所あり、稲も倒れている。手間かかりますわ、はい。
バインダー押しながら、こちらが困っていて助けをもとめている時には人が見えるなあ、そんな考えが浮かんだのでした。
人を助けてあげるのはもちろんすばらしいけど、困って人に助けを求めるのもいいなと思ったのでした。
今日は、冥加な日でした。
オオサカジン運営事務局の方、コメントをありがとうございます。励みになります。
ちなみにここで採れているミョウガは茗荷と書くようです、はい。
さあ、昨年より一日多く休みをとって稲刈りです。
気合入ってます。初日は9時には田んぼと思ってましたが・・・、一日分の余裕が気持ちの余裕で、生駒に着いたの9時半でした、はい。
あっ、日曜日の酒買わなあで寄ったりして田んぼには10時過ぎ着。
さあ、稲刈り開始とバインダー出したら・・・・右のタイヤがへこんでおる。先週、エンジンはかけて、一発でかかってうっしっし。時間に余裕がなかったんでそれだけで済ましていたんですわ、はい。
冷や汗タラり。あわてて空気を入れてみる。しゅー しゅー 、元気よくぬけていく。
あー あー あー 、段取りが吹っ飛ぶ。しばらくうなって、とにかく農機具屋に持っていく。
そーですか、パンクはここでは直らないんですか、はい。業者に持ち込むんですか。で、日にちもかかるんですか。
どっかパンク直してくれる所ないですか、なんならそこに行ってみたらと。はい、そうします。
で、行ったところは近くのガソリンスタンド。笑顔のいい兄さんが詳しい人を電話で呼んでくれる。
このタイヤはチョーブレスタイヤでパンクは直らないと。でもバインダーならそんなに力がかからないから、このままでも今回はいけると。
修理はチューブレスやけどチューブ入れたらいい。
このままでいけると言われ戻ってやってみる。いける、傾くけどなんとかいける。タイヤは傷むそうだが。
5時半、暗くなってきたんで今日は終了。腹づもりでは三枚と思っていたけど、一枚半のみ。あと三枚。
田はぬかるんでる所あり、稲も倒れている。手間かかりますわ、はい。
バインダー押しながら、こちらが困っていて助けをもとめている時には人が見えるなあ、そんな考えが浮かんだのでした。
人を助けてあげるのはもちろんすばらしいけど、困って人に助けを求めるのもいいなと思ったのでした。
今日は、冥加な日でした。
オオサカジン運営事務局の方、コメントをありがとうございます。励みになります。
ちなみにここで採れているミョウガは茗荷と書くようです、はい。
Posted by まるみつ at 00:00│Comments(3)
この記事へのコメント
なにかとトラブルが起きて、段取りどおりいかなくなって、思わずひとりわめいてしまうことがあります。今年は2反の田んぼで米をつくりました。手鎌で稲刈りし、12mかける4段の稲木を各田んぼに2.5基立て、稲を架けていました。
9月25日の台風17号はたいしたことなかったけれど、雨をたっぷり含んだ半反分の稲はたよりないぼくの稲木をたおすにじゅうぶんな重さに達していました。翌26日、案の定1基が倒れていました。解体し、立て直し、架けなおしました。すでに脱穀、唐箕通しの作業にはいっていたので、脱穀が1日分おくれました。
10月2日、突っ張り棒にやや難があって傾いていた稲木1基が夕方に倒れた。これは再建せず、脱穀ですでに空いた長柄に架け直してことなきを得た。
10月6日、台風18号はそこそこ風がつよかった。未明の風のうなりに田んぼが気になる。夜明けいちばん、田んぼを見る。稲木は無事だ。「ようがんばってくれた」といとおしくなる。風のピークもすぎたと思われる、8時30分、ビュンと突風が吹き渡ったとおもったら、1基が完全倒壊。もう1基は端の3mが腰砕け。もうどしたらいいか、気力も体力もない。ギックリ腰も痛い。
しかし、下敷きになってぐっしょりした稲を見ると、ほおってはおけない。稲木を解体して、稲を畦に積んで、鉄パイプで1段稲木の足を組み、1段架けする。あまった稲はどうするか。「求めよ・・・さらば開かれん」、架けた稲の上に直接2段目を積むことを思いついた。これでだいぶかせげた。のこりは鉄製の三脚稲木の空いたところに(別の1反)に運んで架けた。
このかん、隣家の葬式、秋祭りの準備、雨、そして稲木倒壊で脱穀は手つかず。籾摺りはいつできるのだろうか。使わせてくれるという丹波篠山の人がいつまで待ってくれるだろうか・・・。
一時は投げ出したくなるようなこの「苦難」、しかし身体を動かし、動かしながら考えれば、なにか解決策が見えてくる。それがベストかどうかは別として。「試練」のプログラムを用意してくれたお天道さんに畏敬と感謝の念をいだくにいたった。
9月25日の台風17号はたいしたことなかったけれど、雨をたっぷり含んだ半反分の稲はたよりないぼくの稲木をたおすにじゅうぶんな重さに達していました。翌26日、案の定1基が倒れていました。解体し、立て直し、架けなおしました。すでに脱穀、唐箕通しの作業にはいっていたので、脱穀が1日分おくれました。
10月2日、突っ張り棒にやや難があって傾いていた稲木1基が夕方に倒れた。これは再建せず、脱穀ですでに空いた長柄に架け直してことなきを得た。
10月6日、台風18号はそこそこ風がつよかった。未明の風のうなりに田んぼが気になる。夜明けいちばん、田んぼを見る。稲木は無事だ。「ようがんばってくれた」といとおしくなる。風のピークもすぎたと思われる、8時30分、ビュンと突風が吹き渡ったとおもったら、1基が完全倒壊。もう1基は端の3mが腰砕け。もうどしたらいいか、気力も体力もない。ギックリ腰も痛い。
しかし、下敷きになってぐっしょりした稲を見ると、ほおってはおけない。稲木を解体して、稲を畦に積んで、鉄パイプで1段稲木の足を組み、1段架けする。あまった稲はどうするか。「求めよ・・・さらば開かれん」、架けた稲の上に直接2段目を積むことを思いついた。これでだいぶかせげた。のこりは鉄製の三脚稲木の空いたところに(別の1反)に運んで架けた。
このかん、隣家の葬式、秋祭りの準備、雨、そして稲木倒壊で脱穀は手つかず。籾摺りはいつできるのだろうか。使わせてくれるという丹波篠山の人がいつまで待ってくれるだろうか・・・。
一時は投げ出したくなるようなこの「苦難」、しかし身体を動かし、動かしながら考えれば、なにか解決策が見えてくる。それがベストかどうかは別として。「試練」のプログラムを用意してくれたお天道さんに畏敬と感謝の念をいだくにいたった。
Posted by juran at 2014年10月10日 08:07
すごいなあ・・・・・二人とも大変な困難に遭遇して、それでもなんとかしてるものなあ。人間の力の凄さがわかるような二人の記録ですね。
私も妹の救急車入院でヤッサモッサ、パソコンを開けることも出来ない日々だったけれど、まあなんとか落ち着いてホッとしている状態。本人は「もうこれくらい生きたらエエワ。そろそろ父母のところに行きたい」と言いますが、人間の生命力は意思の力を超えますね。
沖縄の辺野古からも助けを求める悲鳴のようなDVDが送られてくるけど、
もう自分は動けないので、若い山本君に送りました。
宮古島の仏原さんの散骨の日が決まって、彼のこれまでの原稿を「青珊瑚」や、「紙ヒコーキ」から捜す作業。30年分の資料の中から捜すので、座ってばかりの作業も腰が痛くなる年になりました。
追悼文をようやく書いて、ワードで清書というのでパソコンをあけました。
大変な日常でも仏原さんから「生きてるうちが花なのよ」と言われているような気がして、夕焼け空を見上げています。
私も妹の救急車入院でヤッサモッサ、パソコンを開けることも出来ない日々だったけれど、まあなんとか落ち着いてホッとしている状態。本人は「もうこれくらい生きたらエエワ。そろそろ父母のところに行きたい」と言いますが、人間の生命力は意思の力を超えますね。
沖縄の辺野古からも助けを求める悲鳴のようなDVDが送られてくるけど、
もう自分は動けないので、若い山本君に送りました。
宮古島の仏原さんの散骨の日が決まって、彼のこれまでの原稿を「青珊瑚」や、「紙ヒコーキ」から捜す作業。30年分の資料の中から捜すので、座ってばかりの作業も腰が痛くなる年になりました。
追悼文をようやく書いて、ワードで清書というのでパソコンをあけました。
大変な日常でも仏原さんから「生きてるうちが花なのよ」と言われているような気がして、夕焼け空を見上げています。
Posted by eshita at 2014年10月10日 18:07
eshitaさん、妹さんのことはたいへんでしたね。無事でなによりです。
仏原さん、亡くなったのですか。『ばじとうふう』に載っていたのかもしれないが、知らなかった。もし天国があるなら、ずいぶんあっちは楽しいことになっているのでしょう。
仏原さん、亡くなったのですか。『ばじとうふう』に載っていたのかもしれないが、知らなかった。もし天国があるなら、ずいぶんあっちは楽しいことになっているのでしょう。
Posted by juran at 2014年10月11日 08:04